普段こういうことはやらないのですが、
9月に本番を控えたアガリスクの次回公演が『そして怒濤の伏線回収』という演目なので、
せっかくだから伏線回収系の映画をレビューしてみようと思います。
『秘密の庭』
(原題:Gizli、英題:The Hidden Backyard)
湖畔に佇む精神病院を舞台に、
新たに入院してきた女性患者のファトマ(エダ・ウェイン)と、
その担当女医ラーレ(インジ・ドマテスジュ)の出会いを皮切りにして、
お互いに似たものを感じた二人が惹かれ合い、恋に落ち、
もたれ合いながらも、共に前へ進もうとする姿が描かれる。
2004年にトルコで制作されたこの映画、
初見時は、弟が借りてきたDVDで観たんですけど、
映画が始まって最初の感想は、
「え? これいつの映画?」
粒が目立つくらいザラザラとした画質で、
この21世紀につくられた作品とはまるで思えないんですが、それもそのはず。
後々知ったのですが16mmフィルムで撮影されたものであるとのこと。
また(恐らく)加工によって、映像中の影の部分がより深く濃く強調されており、
色彩の乏しさも相まって、開放的な建物構造であるはずの病棟に暗く陰鬱とした印象を与えています。
湖も黒く沈んだ感じで、正直ここには入院したくないよねって感じの環境が演出されています。
で、物語的には、そこで出会った女性同士の心の交流というか、
まぁぶっちゃけ恋愛模様が描かれていくんですが
(もちろん厳密にいえばそんな簡単な関係性じゃないんだろうけども)、
義父からの性的虐待の過去に今なお苦しめられている二十代前半のファトマと、
かつて父子家庭で激しいネグレクトを受けていた二十代後半のラーレ。
それぞれを演じている役者をご存知ない方には伝わりづらくて申し訳ないんですけど、
なかなかにミスキャスト感が否めない。
これ配役逆の方がそれっぽいんじゃねぇのっていう、
実写版『バクマン』の神木隆之介くんと佐藤健でも同じこと思った気がするけど、そんな感じ。
ふたりの過去が結構重めだったり、
精神科医が患者に対して感情移入してしまう事象をモチーフに置いているので、
「よくある恋愛映画」といえるほどポップな内容ではないんですが、
甘い台詞やラブシーンは比較的多めです(苦手な人はちょっと注意)。
セックス中(直球)に、ラーレがファトマの目を見つめながら、
「あなたの瞳、きれいで好きよ。まるであの湖をそのまま映したみたい」
とか暗い湖に喩えて言うんですけども、どんなセンスやねんお前、と。
で、瞳を覗き込んでは「こうしてあなたを見つめているのにそこには私がいるの」だの、
「あなたは私で、私はあなた」だの(この台詞は作中で結構多用される)言い合いつつ、
ファトマ「死ぬときは一緒よ」
ラーレ「いいえ、一緒に生きるの」
さっそくちょっと意見食い違ってますけどもね。
しかしまぁ、やはりというか、
二人の幸せは長くは続かないのです。
物語序盤からラーレが強く反発していたナイスミドルな感じの院長がいるんですが、
そことの関係が徐々に氷解して、ラーレが彼に惹かれていってしまうんですね。
この女、すぐ惹かれてしまう……
院長の「僕は君の父親ではない」云々の台詞があるんですが、
これは前述の「あなたは私」と対比になっているのかなと思います。
このあたりからラーレと院長のシーンがメインになってきて、
ファトマの台詞量が極端に減ります。
というかファトマって、ラーレが一緒にいるシーンしかほぼ出番がなくて、
あったとしても台詞やモノローグのない味気ない感じのシーンなんですよね。
なんというか、ラーレのいない世界では生きていけない、みたいな感じ。
そして、ふたりの関係性の変化に伴って、
病棟の深い影の暗がりから、ラーレの白衣をまとった自分自身がこちらを見ているという描写が増えてきます。
つまりこれらは一体どういうことなのか。
↓↓↓以下、物語の核心に関わるネタバレを含みます↓↓↓
ラーレと院長の逢瀬を目撃してしまい、
彼女と目が合ったファトマは、その絶望に身を浸すように湖へと入水していく。
ここで映像が、冒頭のファトマとラーレの出会いとなる問診のシーンに戻ります。
しかし、部屋の隅にはラーレの白衣をまとったファトマの姿が。
これは本来の冒頭シーンにはなかったのに不意打ちで来るので、ちょっとビビります。
そこから、基本的には今までのシーンをなぞりながら、
ファトマの幻影マシマシな感じで結構ホラー。
ファトマ自身も精神的に追い込まれていった結果、狂乱の様相を呈し、
元々自分はいなかったラーレのシーンに割り込み、彼女を刺し殺そうとします。
そして、それを止めようとする院長がファトマに向かって叫ぶのです。
「ラーレ!」と。
一瞬の暗転を挟み、画面は16mmフィルムの荒い映像から突然、鮮明な主観映像に変わります。
そこは病院内の浴室で、右手にはナイフが握られ、
手首から血を流しながら、激しいシャワーに濡れている。
朦朧とした意識の中、顔を上げると、
鏡に映っているのは院長に抱きかかえられる、白衣を着た自分自身の姿。
ここで初めて、今までラーレと呼んでいた女性が溺死体となって病衣で横たわる姿が記憶から呼び起こされ、
彼女こそが本当のファトマであること、そして自分こそがその担当医ラーレであることを思い出します。
さらに、その正当な配役での鮮明な回想シーンが走馬灯的に流れます。
つまり、16mmフィルムの映像はすべて、
ラーレ(真)が、記憶の中のファトマ(偽)として振る舞い、
ラーレ(偽)の役をファトマ(真)に押し付けた、コスプレ回想白昼夢だったのです。
これは、自らの過ちによってファトマを失ったラーレが「あなたは私で、私はあなた」の世界に没入しながらも、
自らの(医者としての?)リアルな眼差しによってその幻想を保てなくなったという解釈で多分合ってるかなと思います。
16mmフィルムの映像の中で幻覚のように立ち現れた白衣の自分こそが現実だったという皮肉ですね。
なので「配役逆じゃね?」ってのはミスキャストではなく意図的なものだったといえるかなと。
これはまぁ伏線っていうにはちょっと感覚的過ぎるので「そういう演出」ぐらいのもんですが。
伏線でいうと、ラーレ(偽)が一緒にいるシーンにしかファトマ(偽)の台詞がない点ですね。
「ラーレのいない世界では生きていけない」というのは半分正解みたいなもので、
ラーレ(真)の知らないファトマ像は幻想世界には存在しえないのです。
ファトマの入水で終わる16mmフィルムの映像がそこでまた冒頭のシーンに戻るのは、
その世界が、ラーレがファトマに出会ってから別れるまでの記憶によって構成されているからなんですね。
他にも、冒頭から何度かファトマの持つロケットペンダントが意味深な感じで出てきたりするんですが、
誰の写真が入っているのかは結局最後まで分かりません。
これは、ストーリーに無用の要素を盛り込んではいけないという「チェーホフの銃」に反するように見えつつ、
ラーレの知らない事実は謎のまま残らざるをえないという仕組みに準ずる、
伏線というものを意識した作りになっているように思われます。
また、16mmフィルムの暗い映像にも仕掛けが施されていました。
映像が鮮明になるまでは分からないのですが、ラーレ(真)の茶色い瞳に対して、
ファトマ(真)の瞳はきれいな青色をしているのです。
最初に聞いたときには違和感のあった褒め言葉も、事実に則したものであったことが分かります。
映画のラストでは、青い湖に入水していく、本当のファトマの後ろ姿をバックにエンドロールが流れていきます。
まったく救いはないですが、幻想的で美しい光景だなと感じました。
まぁ、とりあえず以上ですかね。
この映画、まだここには書いていない伏線的要素もあるのですが、
観る楽しみを根こそぎ奪うことになってしまうので、
気になる方だけ下記の詳細をご覧ください。
とは言いつつ、今回の趣旨的には最後まで見てほしいなぁ。
↓↓↓以下、この記事の核心に関わるネタバレを含みます↓↓↓
これで本当におしまいです。
最後まで読んでくださった方、長々とお付き合いありがとうございました。